「コロナ禍」はなぜ全体主義を呼び寄せているのか?(哲学者・仲正昌樹論考)
国民が「強いリーダー」を求めてしまう「落とし穴」と「人間の本性」
■自由民主主義のもとで、大衆は「強いリーダー」を求めてしまうのか?
こうした考え方は、自由民主主義を掲げる西欧諸国の国家体制の前提になっていった。では、西欧諸国は、「多数派の専制」を防ぐことはできたのか?
無論、答えはノーである。
第一次大戦後のドイツは、当時世界で最も民主的な憲法とされるワイマール憲法を採択した。この憲法では、人身の自由、信仰・良心の自由、結社の自由、意見表明の自由、経済活動の自由など、(多数決によっても奪うことができない)基本的な自由権が詳細に規定された。
しかし、ワイマール共和国は、第一次大戦の戦勝国に対する多額の賠償金と、その支払いをめぐる隣国との紛争、世界恐慌、極右極左勢力による暴力革命の試みなど、多くの不安定要因を抱えていた。そして、民主的な選挙によってナチスが第一党になり、党首ヒトラーが首相に就任した。ヒトラーは、国家非常事態を収拾するための憲法の諸規定をうまく利用して、自分に権限を集中させていった。ごく短期間で、ヒトラーをドイツ民族の真の意志を具現する「指導者」とする「全体主義」体制が成立した。
『全体主義の起原』(一九五一)を著わした、ユダヤ系ドイツ人の政治哲学者ハンナ・アーレント(一九〇六-七五)によれば、「全体主義」は、伝統的な社会構造が解体していくなか、根無し草になった大衆が、自分たちの運命と世界の行く末を示してくれる強い力に自発的に同化していくことを通して生じる。
同じくユダヤ系ドイツ人の心理学者・精神分析家のエーリヒ・フロム(一九〇〇-八〇)は、全体主義のメカニズムを社会心理学・社会史的に論じた『自由からの逃走』(一九四一)で、その裏面として、何でも自分で決定しなければならないことを意味する「自由」は、多くの人にとって重荷であり、社会不安が募ってくると、自由を“自発的”に放棄し、強い力を持つ「権威」に従う傾向が前面に出てくることを指摘した――アーレントについては拙著『悪と全体主義』(NHK新書)、フロムについては同じく拙著『人はなぜ「自由」から逃走するのか: エーリヒ・フロムとともに考える』(KKベストセラーズ、近刊)を参照。
全体主義のメカニズムが働き始めると、人は、個人の自由よりも、強い力の下での安定と導きを求めるようになる。安心をもたらしてくれる「力」の発動を妨害する反対意見には耳を貸さないどころか、障害物としてさっさと排除したくなる。普段、ミルの二つの原理の重要性を説くリベラルな人たちも、自由よりも「力」による安定を求めるようになる。
■「コロナ禍」が導く全体主義の足音
コロナ禍によって、日本でもそうした風潮が生まれている。リベラル・人権派であったはずの人たちが、市民の基本的権利の制限を意味する「緊急事態宣言」やロックダウンを待望し、その決断を渋る政府首脳を無能呼ばわりし、反対する人たちを人殺し扱いする。
八月に入ってからも、緊急事態の再発出を要求する政治家や医師会幹部を英雄視して、決断できない政府を責める論調が続いている。
それに呼応するように、経済を回すことを主張する人たちの側にも、“人命最重視派”を、日本経済を破壊する偽善者と見なして攻撃する傾向が強まっている。
「コロナ」問題は人々の不安を募らせ、ミルの二大原理を侵食しつつある。
次回は、コロナと他者危害原理の関係について分析する。